佐谷和彦と佐谷画廊

1982-2000

(昭和五七年〜平成十二年)

佐谷画廊 銀座時代

1982年(54歳)

11月 「山田正亮展 画廊移転記念」開催

銀座四丁目に移転。かつて銀行の地下金庫であった空間は銀座にしては異例の天井高があった。このスペースへの移転は山田正亮が大作制作に挑戦するきっかけとなり、翌年以降空間を前提とする新しいアーティスト達の展覧会開催を可能にした佐谷画廊にとって画期的な移転であり、関係者の耳目を集める展覧会が翌年から続くようになった。

「山田正亮展 画廊移転記念」撮影:内田芳孝

「山田正亮展 画廊移転記念」
撮影:内田芳孝

1984年(56歳)

4月 クリスト展:CHRISTO The Pont Neuf Wrapped, Project for Paris

佐谷画廊でクリスト展が開催されたのは6回、そのうち2回目となるこの展覧会より、クリスト夫妻との対話から展覧会を作るプライマリーギャラリー的な活動が活発になる。きっかけは1982年春に東京滞在中だったクリストが佐谷画廊での個展を見に訪れたことであった。またクリストファンだった学生時代に同じ展覧会を見て和彦と知り合い、まもなくNYに渡りクリスト夫妻の信任を得てチームの主要メンバーとなった柳正彦氏の存在もあった。ポンヌフ展以後、ライヒスターク、アンブレラ、初期オブジェなどいずれの展覧会においてもカタログ、ポスターを制作した。

(左より)祗子、奥田道子、ジャンヌ=クロード、佐谷(黒田)眞知、和彦、クリスト

(左より)祗子、奥田道子、ジャンヌ=クロード、佐谷(黒田)眞知、和彦、クリスト

1985年(57歳)

7月 第5回オマージュ瀧口修造展 瀧口修造

瀧口修造の視覚芸術作品にフォーカスした展覧会。赤瀬川原平、土方巽、磯崎新、巌谷國士、唐十郎、大岡信、武満徹、谷川俊太郎、東野芳明など60人からの出品協力を得て166点の作品を展示した。

赤瀬川原平氏訪問時の展示風景 撮影:島敦彦氏

赤瀬川原平氏訪問時の展示風景
撮影:島敦彦氏

1986年(58歳)

11月 ピカソ作ドラ・マールの肖像を美術館開設準備中の徳島県に納入

荻窪の自宅にて マリナ・ピカソ旧蔵のドラ・マールと

荻窪の自宅にて マリナ・ピカソ旧蔵のドラ・マールと

1988年(60歳)

5月『画廊のしごと』を美術出版社より刊行

5月「マックス・エルンスト Works 1910-46」展開催

マックス・エルンスト展ポスター

マックス・エルンスト展ポスター

1990年(62歳)

1月-3月 「パウル・クレーWorks 1903-40」開催

クレーは和彦にとって瀧口修造と並ぶ最も重要なアーティストの一人であり、数年にわたって集めた絵画、水彩、ドローイング、版画など28点を展示し、カタログ、ポスター、ポストカード、カレンダーなどを制作。渾身の展覧会であった。入場者は後を絶たず、展覧会カタログは三刷3500部が売り切れた。

クレー展カレンダー
クレー展カレンダー

クレー展カレンダー

1991年(63歳)

7月「第11回オマージュ瀧口修造展 実験工房と瀧口修造」開催

佐谷画廊恒例となったオマージュ瀧口修造展は11回目を数え、実験工房の全貌を初めて明らかにする展覧会を山口勝弘氏の全面的な協力のもとに開催。制作した図録は現在でも実験工房に関する主要文献のひとつとされている。
写真は実験工房メンバーの当時の集合写真と展覧会オープニングの日の集合写真。瀧口修造の立っていた場所にメンバーが和彦を招じ入れての撮影となった。

撮影:大辻清司
撮影:斎藤さだむ

撮影:大辻清司

撮影:斎藤さだむ

1994年(66歳)

10-11月 「アルベルト・ジャコメッティと矢内原伊作」展開催

矢内原伊作の親友であり、ジャコメッティとも交流のあった宇佐美英治氏の協力で矢内原家所蔵の作品にて開催。

1996年(68歳)

3月『アート・マネジメント』を平凡社より刊行

2000年(72歳)

2月「22人のアーティストによる佐谷画廊」をもって銀座の画廊を惜しまれつつ閉める

画廊で挨拶をする和彦 撮影:杉田和美

銀座最後の日に画廊で挨拶をする和彦
撮影:杉田和美