1978-1982
(昭和五三年〜昭和五七年)
佐谷画廊 京橋時代
1978年(50歳)
3月 佐谷画廊を中央区京橋二丁目に創設
3月『知命記 ある美術愛好家の記録』を刊行
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9月『マックス・エルンスト、イヴ・タンギー版画2人展』
最初の企画展を開催。同展覧会期中に瀧口修造から、2作家のファーストネーム MAX YVES 七文字で始まるフランス語と日本語の手書きの七行詩を贈られる
以後企画展ごとに展覧会カタログを制作する方針を堅持する。カタログ・案内状デザインは制美 浅井潔。氏が病に倒れるまでほとんどの印刷物制作を担当する。
カタログ原稿執筆を研究者・評論家・キュレーターに依頼・掲載する一方で、自らあとがきなどエッセイを記すようになる。
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1979年(51歳)
10月 「山田正亮展 1960年代後期の絵」を開催。
当時まだ知られざる抽象画家であった山田正亮の個展を以後17年にわたり新作と過去作を交互に毎年開催した(1996年まで)
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1980年(52歳)
9月 株式会社佐谷画廊に改組
12月 「ジャクソン・ポロック展」開催
小品ペインティングが展覧会の目玉。富山県立近代美術館館長小川正隆氏の目に留まり、佐谷画廊最初の輸入大型案件として美術館への納入を果たした。
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1981年(53歳)
6月 山口長男展 『山口長男画集』(講談社刊)の刊行記念展。
出版実現の原動力は美術写真家・内田芳孝氏であった。展覧会は作家本人の希望で「ささやかな」ものであったが、和彦は南画廊時代に山口長男氏の知遇を得、内田氏の情熱に動かされて講談社との出版交渉に携わる。
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7月 事実上の第一回目となるオマージュ瀧口修造展として『物質のまなざし』詩 瀧口修造、石版 アントニ・タピエス 開催。
生前に交流があった瀧口修造(1979年7月1日没)を讃えるものとして始まった。瀧口修造が関わったアーティストの展覧会企画に発展し、毎年瀧口修造にちなんだ展覧会を28回にわたり企画しカタログを発行。和彦のライフワークとなった (2006年まで)
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1982年(54歳)
4月に私家版『私の画廊 -現代美術とともに-』を刊行
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同4月に開催したクリストのドローイング、コラージュ展に展覧会の噂を聞いた日本滞在中のクリスト本人が訪れる。以後交流が始まり数度の展覧会開催につながる。