佐谷和彦と佐谷画廊

1928-1972

(昭和三年〜昭和四七年)

画商前史

1928年(0歳)

3月25日 京都東舞鶴に家具商の長男として生まれる。

和彦二歳

和彦二歳

1945年(17歳)

4月 金沢の第四高等学校入学
「みづゑ」「アトリエ」「創美」などの美術雑誌に親しみ瀧口修造の名前もこのときに知る。
在学中に詩人三好達治氏を福井県三国の森田別荘に訪ね二泊。以後交流が続く。三好達治は少年時代に佐谷家の養子として一年間舞鶴に暮らした縁があった

読売新聞前田恭二氏紀行記事 [2015年2月1日 読売新聞]

読売新聞前田恭二氏紀行記事[2015年2月1日 読売新聞]

1949年(21歳)

4月 京都大学経済学部に入学

1953年(25歳)

4月 農林中央金庫に入行。東京にて就職。

1956年(28歳)

当時東京女子大学文学部心理学科の学生であった谷本祗子と高橋満寿男絵画教室で出会い、札幌転勤を機に結婚

和彦、祗子結婚式

和彦、祗子結婚式

1963年(35歳)

7月 札幌支店勤務5年、大阪支店勤務3年半ののち東京本店に再び配属される。以後生涯東京に住む

1965年(37歳)

7月 出向先での激務から病気入院。回復ののち銀座の画廊巡りが始まり、サラリーマンコレクターになる

〈卒業後は銀行に入り、二〇年間忙しく過ごしましたが、途中で病気をして三ヶ月ほど休んだときに人生観が変わりました。銀行のしごとよりも、「絵を見る」「詩を読む」という方向に自分の気持ちが動いていったのです。(・・・中略・・・)私は銀行の先輩に連れられ、当時銀座の八丁目にあった洲之内さんの現代画廊を訪ね、柳原義達さんのボールペンのデッサン「裸婦」を買い求めました。(・・・中略・・・)しかし、私は次第にもっと新しい現代絵画に傾斜していき、そこで出会ったのが、南画廊の志水楠男さんでした。(・・・中略・・・)当時の志水さんは現代美術に情熱があり、話が歯切れよく、素晴らしいと思いました。南画廊で最初に買った作品は、加納光於さんの版画(・・・中略・・・)ついで求めたのがサム・フランシスのカラー・リトグラフでした。〉

みすず pp156-157

1970年(42歳)

4月から翌年10月 農林中央金庫社内誌にピカソからポップアートまでについて綴ったエッセイを連載。
東京都杉並区荻窪に自宅を取得

1972年(44歳)

秋 南画廊志水楠男社長から転職の誘いを受ける