1973-1977
(昭和三年〜昭和四七年)
南画廊勤務時代
1973年(45歳)
6月 農林中央金庫を退職し、南画廊に専務取締役として迎えられる
転職を機に最初の著書『ピカソ以後』を自費出版
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南画廊在職中も作品収集に余念なく、また瀧口修造氏との交流が始まり、西落合の自宅を訪ねることもあった
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1976年(48歳)
2月から翌年10月にかけてフジテレビギャラリーの幹部であった五辻通泰氏(現・ギャラリー五辻)の誘いでフジテレビギャラリーの小冊子「gallery」に無執砂丹(ムシュー・サタン)のペンネームでエッセイを連載。依頼原稿の執筆は初めてであったが本格的に文章を書くことに向き合うきっかけとなった。
1977年(49歳)
9月に南画廊を退社